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1994年9月
今は酒造メーカーの酒蔵からは、酒が一歩でも出ると同 時に税金がかかります。これを「蔵出税(くらだしぜい)」 といいます。しかしそのような制度が以前からあって続 いているのではありません。明治以前は幕藩体制の中で、 酒を造る権利を各藩主が許可をして上納金を得ていまし た。明治四年になって初めて政府の免許制度が布告され、 その時点で全国統一の酒造制度ができました。
その後の制度は何回か改変されて、清酒や醤油の鑑札が 相当自由に与えられるようになりました。しかし、明治 の政府は明治二十七年の日清戦争の大きな戦費の捻出に せまられて、その財政上の必要から、明治二十九年に 「酒造税法」という法律を造りました。さらに、明治三 十一年には、濁酒の製造が政策上、また衛生上の問題か ら全面的に禁止されてしまいました。それまでは農家の 「濁酒」(どぶろく)も免許を得れば、少量の範囲では税 金を納めることで認められていました。
その当時は「造石税(ぞうこくぜい)」といって、各メー カの造った酒の量、アルコール分に対して一括して税金 がかけられました。そのため税務署の職員は、酒造りの 時期になると毎日の如くメーカーの所へ来て、数量、ア ルコール分を、木桶一本一本検査したものです。そのた めに各酒造家には税務署員が酒を分析する「分析室」や、 税務検査をする「検査室」という特別な部屋があります。 その部屋は私どもの会社の中で一番立派な作りの部屋で した。
初期の記録によると、国税総額一億四千五百万円の中で、 酒税は四千九百万円という国税のトップになっていまし た。この頃はビールやウィスキーもほとんど製造されて いませんでしたので、この額は、清酒や焼酎、味醂等に よるものでした。
昭和十年代の初めに、酒税が製造量に対応する造石税か ら、出荷量に対応する蔵出税に変わりました。そのため メーカーは出荷事務をより正確に行うことを要求される ようになり、事務処理の正確さが要求され、簡略化とは 逆の方向に進みました。
現在でも変わりはありませんが、コンピュータの導入は わが社にとっては大改革がなされたものだった事が記憶 に残っています。それは販売店様にとっても役に立って いることと思います。ご不満の点など遠慮なくご指摘く だされば大変有り難いことと存じます。
日本酒には出荷の段階で(当社の門を出た時点で)税金が かかります。したがって酒の返品があると、その分の酒 税を税務署から還付してもらう手続きをとらなければな りません。この手続きを戻入(れいにゅう)と呼びます。
この手続きは煩雑というわけではありませんが、還付の 処理はできるだけ行わないことが望ましいので、できる だけ返品が無いよう、適切な量をご注文下さるようお願 いいたします。
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