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1995年6月
万葉集の時代の山上憶良の「貧窮問答歌」の中に、貧人が堅塩(岩塩?)をなめなめ糟湯酒を飲む、といった内容の歌がある。「糟湯酒」とは、多分酒粕を湯で溶いたものであろう。これから考えると、その当時の上流社会の人はもろみをしぼって粕を分離した酒を呑んでいたものと想像がつく。今の清酒に近い「澄酒」が出来ていたものと思われる。しかしその製法は不明だ。
江戸時代に、鴻池という豪商が、首にした手代から逆恨みされて灰をもろみにぶち込まれたという偶然から澄んだ酒ができたともいわれている。これは、酸っぱくなった酒の酸が中和されて旨く飲めた、という事ではないかとも考えられる。
上記のことは、日本人は相当昔から酒をきれいにして旨く飲む方法を発見していた事の証拠とも考えられる。いずれにしても充分発酵したもろみは澄んだ酒、今で言う清酒と、酒粕に何らかの方法で分けられて、それぞれに用されて来たものだろう。
もろみは五升位入る木綿の袋(酒袋)に入れられて、酒槽 (さかふね)の中に平たく何層にも並べられる。始めの内は、その重みで酒袋からトロリ、トロリと透明な酒がしぼり出される。だんだん袋が目詰まりをして酒の出方が悪くなる。そのときは生の押しぶたをならべ大きい石をのせたり、今では水圧器を使って圧力をかけて出す。酒をしぼって酒袋に残った薄い板状の酒粕が冬期に販売される「板粕」である。
今から十五年位前から、連続式酒搾機が開発され、それを利用すると酒しぼりの作業が軽減され、酒袋も使用しなくても良い様になった。だから今では当社では吟醸酒以外では酒袋は使用していない。しかし、酒粕は酒袋をを使用したものと全く同じ板粕が出来上がっている。
板粕は冬のものとされている。俳句を作られる方々はご存じの、日本大歳時記にも冬の季語の中に「酒の粕」がある。
「粕汁にあたたまり行く命あり」 桂郎この板粕は、桶に囲われて、夏にかかてゆっくり発酵して柔らかくなる。それが練粕として胡瓜もみや、白瓜の粕漬け用として家庭で愛用される酒粕なのである。酒粕は囲う蔵の室温により発酵の仕方が違ってくる。又酒を搾る時期、その他の種々の原因が重なってその柔らかさを一定にすることは大変難しい。そのため出荷する私共は酒粕の硬さには苦労させられるものだ。
戦後酒米が極度に少なかった時代に発酵が過度であった酒粕や、打ち水が多すぎたりした蔵もあって、そこの酒粕は柔らかくなりすぎる事もあったと聞く。その様な酒粕は使用する時、貴重な砂糖を多く使ったりしないと乳酸発酵して酢くなったりした事もあった。主婦の間では、粕が酢くなって、折角苦労した漬け物を駄目にしたという悲しい記憶を持つ人もあるという。研究熱心な主婦はそれを克服して、毎年おいしい粕漬けを漬けている。
それよりももっと酒類の販売業者にとって重要な問題が別な所にある。それは、味噌を家で仕込む人が減った様に、家で漬け物をする人も少なくなって来た事である。その様な生活環境の変化で、昔は母から子へ、姑から嫁へと代々伝えられた旨い漬け物をつける技術を持つ人が少なくなって来た。自家製の漬け物の楽しさを、若い主婦達に植え付けることも、酒屋さんや食品販売業者の将来の生きる道にもつながるのではなかろうか。
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