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1995年11月
先月までで、酒の値段がどの様に決まったのかについて、酒税法という明治期の法律に縛られながら酒の値段が決定されていたこと、昭和に入って、日中戦争の戦費の予算のため、造石税から庫出税に変化した事などについて書いた。
今回は、酒の値段がどの様に動いたのかについて、実際の金額で示してみたい。しかし価格というものは非常に流動的なもので、種々の資料を探したがなかなか決定的なものが得られない。ここでは国税庁の資料により、紹介することにしよう。昭和十五年頃までのものは、全国の地酒の一・八リットルあたりの平均価格といわれるもので、それ以後に特級酒、一級酒、二級酒という制度が出来た。しかもアルコールの度数は特級酒が一番高いので、価格は度数にも関係があったが、そこまで細かくは紹介しない。
戦争に入ると、物価のインフレーションの抑制のために、ほとんどの物価が政府主導の決定になった。特に主食やそれに類するものの物価統制は厳しかった。主食の米麦が食糧管理制度によって規制さたのもその頃が始まりである。しかも全ての物の価格が自由になっている戦後五十年経った今になって、食管法が改正されて新しい食糧法に移ることになり、来年は新食糧元年と言われることなのである。酒の値段は、日本酒にしても、ビールにしても、食管制度下にある主食の米麦が原料であるため、米麦の政府の管理価格に左右されてきたのだ。
酒の全国の平均価格を調べて見ると、明治維新となる幕末には、上等酒(以下「上」)が255文、中等酒(以下「中」 )が212文、並等酒(以下「並」)が107文となっている。
その後、戦争の度に値段が上がる。明治十五年の西南戦争の時は上11銭、中8銭、並7銭であり、日清戦争後の明治28年には、上21銭、中17銭、並13銭と二倍近くになる。第一次世界大戦後の大正十年の超インフレ時には、上2 円50銭、中1円70銭、並1円20銭と十倍近く高騰している。しかし、昭和初めの不景気時期は、上1円89銭、中1円48 銭、並1円と下がっている。
日中戦争の半ば、昭和十五年には、公定価格となり、上 2円70銭、中2円40銭、並1円90銭となる。終戦一年前には、一級酒が12円、二級酒が8円となる。その頃の大学卒の初任給が40円くらいと聞くから相当の高値に決められたと考えられる。
戦後の昭和二十二年の公定価格では、一級酒550円、二級酒500円となった。その後は二級酒でいうと、昭和二十六年三月の公定価格が485円、二十七年三月に565円、二十八年三月には485円と下がった。それから後は物価の高騰とは逆比例して低下している。十年後の昭和年三十八年は485円であり、四十八年月四月まで660円に上がったにすぎない。
酒はインフレ時代の物価の優等生であろうし、それであるからこそ、輸入酒との競争にも負けることは無かったのだ。ちなみに他の物価でも政府管理下の煙草の「光」では、昭和三十年に45円だったものが、昭和六十一年の百二十円にまで上がっている。ビールも値上がりの少ない製品の一つとして考えられる。しかし日本酒も、ビールも、世界的に見て税金が割高な分、価格に上乗せされていることは、酒に関係する業者全員にとっても、消費者にとっても悲しいことと言わねばならない。
三カ月に渡り、酒の値段について書いてきたが、ひとまずこれで終了として、来月からは別の話をすることにしよう。
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