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1997年11月
杜氏というのは、酒造りに携わる人達の総元締めである特定の個人の職名である。近頃は酒造業を扱った小説の影響のため、酒造に携わる職人はすべて杜氏と呼ぶものと思っている人も多いのではないだろうか。会社や地域によっても違いがあるだろうが、当社では「杜氏」というとただ一人を指す。残りの酒造に携わる職人にそれぞれ専門があり、その専門の肩書きをもって尊敬の下にその人を呼ぶ。
杜氏の下で杜氏の補佐役をする人は、頭役(かしらやく)と呼ばれ、蔵の中では「頭(かしら)」とか「お頭さん」と呼ばれている。杜氏が税務関係の帳簿で忙しいときは、代わってお頭さんが製造の実務関係をとりしきるのである。そのお頭さんの下に二番と呼ばれる人がいる場合もある。
酒を造るのに一番大事な仕事に、麹作りがある。その麹作りの主任を製麹師(せいきくし)とも言うが、普通は「麹屋さん」と呼んでいる。その麹を使って酒母が作られる。酒母の事を我々は「・(もと)」と呼んでいるので、酒母作りの主任は普通「・廻り(もとまわり)」といわれる。内部では普通には「・屋」と呼ばれる重要な役名である。
麹屋さん、・屋さんの指導の下で出来上がった麹や酒母を使って杜氏の指揮に従って酒の仕込みが行われるのである。
仕込みは一度に出来るものではない。少量の「・」に、日をおいて三回に分けて蒸米や麹を加えて徐々に分量を増やしていく。三段仕込みと呼ばれるこの酒造りの方法は江戸時代より続けられている日本酒独自の方法で、手間はかかるが非常に理にかなった酵母の培養の方法なのである。
こうして仕込まれた醪は二十日ほど経つと十分に発酵して酒に出来上がって来る。醪は布製の濾布の袋で透明な酒と酒粕とに分けられる。酒を搾る酒袋は、昔は、太い木綿糸で織られた厚い布地で作られており、袋を丈夫にするために、柿渋の汁につけて夏の間に何日も日光に干した袋を使ったものである。今では丈夫な化学繊維があるので昔のように柿渋で茶色に染まった袋を見ることは無くなった。誤解をしている人が多いので補足しておくが、「柿渋」は食用の柿の渋ではなく、別の植物である。単に「渋」と呼ぶことも多い。
出来上がった酒の醪は三升くらいずつ酒袋に入れられ、それが酒槽(さかぶね)という、木製の大きな入れ物に入れられる。酒袋を何段にも重ねた上から重みをかけられて袋の中からタラリタラリと絞り出されたのが新酒になるのである。しばらくすると袋の目が詰まって段々に出にくくなるので、昔はその上に石などをたくさん重りとして載せて搾ったのである。昭和に入って油圧を利用して圧力をかける方法に変わった。戦後はそれも圧縮空気の空気圧によって搾る方法に進歩した。酒槽は形が長い四角の舟形になっていたため「ふね」と呼ばれ、搾りの主任は「船長(ふなちょう)」とか「船頭(せんどう)さん」と呼ばれている。搾りに空気圧を利用した機械を使うようになった現在でも同じ名前で呼ばれているのである。
こういった職名は今後も後世に伝え続けられることだろう。そして、杜氏のことは、肩書きが製造部長だ工場長だと言っている蔵でも、今でも内部では親しみを込めて「おやじさん」と呼んでいるのである。
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