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1998年1月
日本の神話「古事記」でも、最初から神様と酒の話が出てくる。スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治の伝説である。「御神酒(おみき)をあがらぬ神はない」というデカンショ節にも歌われている言葉は、日本人の誰もが知っている名句である。それくらい私達の生活と日本酒の関係は深いのである。日本人ばかりでなく、洋の東西を問わず信仰の場と酒はつきものの様である。
私はお正月のお酒ほど日本人の信仰を端的に表しているものはないと思う。宗教としての仏教を信じる人でも、キリスト教を信じる人でも、そして神道の人はもちろん、お正月に御神酒をいただく。このことは、宗教としての神道とは別に、常に万物への感謝の気持ちを忘れないという日本人の生活感が現れているのではないだろうか。
一年の無事を感謝し、新しい年が無事迎えられることを感謝する。正月の酒はこの様に、日本人の生活とは切り離せない神聖なものである。酒を愛する人は、いつの時代にも神への感謝を忘れない。
酒を造る私達は、酒造の場には神が常にひそんでいる事を忘れない。その証拠には、蔵の入り口には注連縄(七五三縄…しめなわ)が張られ、ここから中は、神が常に在り、その中で酒造りが行われると信じられているのである。
神社を参拝する際に、手を洗い、口を漱ぐ様に、造り蔵へ入るときには入り口ででを洗う。この事は神への信仰の行為である。しかし信仰だけでこれを行うのではない。実は大変合理的で科学的な行いであるのだ。蔵の外で手に付いた細菌をここできれいに取り除いて蔵内へ入るのである。この事はハイテクの寵児(ちょうじ)である半導体の製造工場に入る際に気をつけるのと同様な厳しさを持っているのである。
酒を造る水に感謝し、米に感謝し、米を作る人に感謝し、水、米を生んだ日本の風土に感謝する。我々酒造りをする者は、我々を取り巻く全ての物のお陰で酒が出来上がっていることを常に忘れずにいる。
どうか皆様も、正月の酒を口に含むときは、このことを思い、新しい一年の無事を願いましょう。
さて、酒造りも最盛期となってきた。年末年始には、一週間ほどは酒の本仕込みはひと休みとなる。しかしその間も我が社の伝統の生・(きもと)・山廃の酒母は休むことなく発酵を続けている。仕込みは休んでも、毎日発酵を見守っているのが正月に残っている蔵人の日課である。この酒母があるお陰で正月休みが終わり蔵人が揃うとすぐに本仕込みに入れる。これも自然の摂理をうまく利用した我が社独特の酒造りの方法の一つではないだろうか。
今年も気候に恵まれ、酒造りも順調に進んでいることを皆様に報告して年末年始のご挨拶とさせていただきたい。
平成十年も「御園竹」「牧水」を変わらずにかわいがって下さい。
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