御園竹便り 御園竹便り目次へ  戻る 次の号へ

page_048


困った門

1998年6月


先月の便りで、我が社の門が冷蔵コンテナを運び込むための障害になった事に少しく触れた。「こまったもんだ」と言う様に、社内で時にふれて冗談めかして語られることのある当社の門である。

しかし、当社の門は江戸時代から、中仙道に面して建っていて、この門の前を大名行列が通ったという歴史でもあるため、誇りを持って保存に務めているのである。

中仙道が狭くて坂も多く、交通に不便な所から、中仙道から南へ百メートルほどの所に新しい道がバイパスとしてできた。大正の末期の事である。更に、一九九六年頃、そのバイパスが国道一四二号線となり、昭和の終わりには、北側にもっと広いバイパスができた。このお陰で、当社の周囲の、茂田井の集落は旧中仙道の雰囲気が残った。そして、望月宿、芦田宿の間の宿として茂田井が知られることにもなった。

その宿で静かに造られる酒としての御園竹・牧水を愛しんで下さる方もある。観光客として信州を訪れた方の中には、わざわざ当社を訪ねて来られる方も多い。その方々の残された芳名録の中に、思いがけない名前を発見出来るのも楽しいものである。

門の話にもどろう。旧中仙道の狭い道を、荷物を積んだトラックが来る。トラックから降ろした荷物は、必ず旧中仙道に面した門から入らなければならない。酒を造る機械や酒を貯蔵するタンクもこの門から入る。そこに門がある。これは江戸時代からの門であり、誠に昔ながらの風格が残っているから厄介である。一番困ったのはタンクである。

木桶の時代は家の中に枯蔵(からしぐら)という桶職専門の工場があり、そこで二十石入り、三十石入りという様な大きい木桶を自社内で作ったから良かった。大正の終わりに琺瑯(ほうろう)タンクが開発されて使われるようになってから問題が出た。

琺瑯タンクは関東、関西の大きな工場で作られ、トラックで運ばれて来る。門をくぐり抜けて酒蔵へ運び込むのだ。タンクがまだ小さいうちはよかった。段々大きな物が製造可能になって来ると、運び込む苦労が出てくる。タンクは横にして運び込むのであるが、その直径は門の中に入れるサイズでなければならない。当社としては、コスト的にもなるべく大きな物が欲しいから、ぎりぎりの大きさを注文する。そのため門から入れる苦労は大変なものとなった。

通常は、桶車と呼ぶ台車を使ってタンクを運ぶが、これを使うとタンクが門を通らない。門の外でおろしたタンクをそのまま横にして、下にネコムシロを敷いて、社員総出で痛めないようにそろそろと引いて、時間をかけて運び込んだものである。これを何十本も運び入れたのだから、とても大変だった。

さて、先月の話の冷蔵コンテナを運び込こんだ時の話が残っていた。実はコンテナはどうやっても門から入らなくて、というよりクレーン車が入らなかったため、結局バイパスから農道を通り、畑の中を通って会社の裏へ道を作り、運び込み据え付けた。据え付ける場所が会社の裏側であったので何とかなった。これからは、物を運び込むときにクレーン車の車高も考慮しなければならない時代になったのである。

門は「こまったもん」ばかりでなく、造り酒屋の象徴的な役割を、あの長い煙突と共に持っていることを忘れないで、いつまでも大事にしたいと思っている。

御園竹便り目次へ  戻る 次の号へ


著作・制作: 武重本家酒造株式会社
Copyright (c) 1994-2000 Takeshige Honke Shuzou Corp