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1998年10月
稲刈りの時期に入った。当社の杜氏は、新潟県の出身であり、地元では米を作っている農家である。新潟県では稲刈りがこちらより早く、九月の中頃には済んでしまう。そして九月の下旬から十月の初旬にかけて何回か来社する。
一つには、今年の冬の仕込みの打ち合わせがある。どういう酒をどれだけ仕込むか。そして、そのためにはどういった米をどれだけ仕入れるか。こういったことを決めておかないと、冬になって酒を仕込みたくても米がない、ということになる。経営面から言えば、今年の米の価格が決まらないのに米を発注しなければならないのは、若干理不尽な気もするが、これはしかたの無いことであろう。
杜氏が来社するもう一つの理由は、鑑評会への出品のためである。鑑評会というのは、皆様もご存じのことと思うが、その年の春にできた吟醸酒の優劣、そして杜氏の腕を競う会である。鑑評会は春と秋に開催される。春は関東信越国税局(長野県、新潟県、群馬県、埼玉県、茨城県、栃木県)と国税庁醸造研究所(全国)の二つが開催され、これは出来立ての新酒の優劣を競う。秋は、長野県と関東信越国税局の二つが開催され、夏を越して熟成した酒の優劣を競うのである。
日本酒は熟成の度合によって、味や香りが非常に違う。吟醸酒も同じで、新酒の時と夏を越した酒ではやはり味も香りも異なる。少し古い話で恐縮だが、昭和六十二年の秋に当社は長野県の鑑評会で首席、国税局の鑑評会で次席となった。この年の吟醸酒は、新酒の時はそれほど大した酒ではなかった。しかし、一夏を越したら香りが強くなり、今風の言葉で言えば、すばらしい酒に「化けた」のである。
その理由が分かれば苦労しなくて済むが、実のところ全く分からない。それ故、杜氏は悩み、いろいろな工夫を凝らすのである。貯蔵方法をいろいろと変えて、どうやったらうまく熟成させることができるか考える。その年その年によって吟醸酒の出来も違うので、なかなかに難しい。そのために、秋になると杜氏が来社して、数ある酒の中から、その年の出品酒を選ぶのである。今年の酒の熟成はいかがであろうか。もう少しすると結果が出るので、来月の便りではご報告ができることと思う。
話は変わるが、鑑評会の歴史は古く、明治の終わり頃には既に開催されていた。当社に残っている賞状では、大正元年のものが一番古い。杵突き精米から、金剛砂のロールを使って米を削る竪型精米機による高度の精米技術により吟醸酒が造れるようになったのが発端らしい。それ以降今に至るまで、戦時中の期間を除いて、鑑評会はずっと開催されてきた。これは即ち、日本酒メーカーが常に自社の製品をより良くするために技術を研鑽していることの現れであろう。
当社も、そして当社の杜氏も常によりよい酒、吟醸酒ばかりでなく、全ての酒に対して、常に酒質を向上させる努力をしているつもりである。日本酒業界も売れ行き不振で大変な時期であるが、当社では常に前向きに酒を造っていくつもりである。どうか皆様も前向きな姿勢で、皆でこの難関を乗り切って行きましょう。
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