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米蒸しと蒸気

1996年2月


造り酒屋でその年の造りが始まったかどうかはすぐわかる。造りの最中は、朝早く東の空がようやく明るくなった頃には、もう、酒屋の釜場の気抜きから真白い蒸気が立ち上がっている。自動車の車窓から遠くで白い蒸気の上るのを見て、あわてて消防署に電話した人もあるという。

酒造りにはお湯と蒸気が欠かせない。米を蒸すのも、タンクや様々な道具を洗い殺菌するのも全てお湯であり、蒸気なのである。

昔は朝四時頃には釜屋と呼ばれる役の人が、和釜を据え付けた釜場に火を付ける。まず火を燃やして、和釜に湯を沸かすことから朝の作業が始まるのだ。直径四尺から五尺ほどの大きい和釜である。湯を沸かすには、太さ 10cm長さ60cmもの薪が使われた。そして全員が五時前起きて、和釜にのせた甑で米を蒸かす。

蒸かす米は、前日から別の大きい甑の中で水に浸してあったものを水切りし、少しずつ和釜の上の甑の中に置いていく方法を採る。甑の底の中心部に蒸気の吹き出る穴が開けられており、そこにコマと呼ばれる吹き出し装置が置かれる。そこから激しく吹き出る蒸気の所へ、水を切った米を大きなざるで一斗くらいずつ置いていく。蒸気が抜けたら次の米を置く、という様に一時間近くの作業となる。その間米置作業歌を歌い、それによって時計が無くても蒸し時間が正しく調整される。

米を蒸かした後は、麹の引き込みをし、添・仲・留(そえ・なか・とめ)と呼ばれる酒の仕込みの三段階を済ませ、朝食を取るのは朝も七時を回っていた。

今は火を起こして湯を沸かすという作業は無くなり、重油ボイラーという便利な機械に変わった。燃料が薪や石炭でなく、重油の自動燃焼となった。当社でボイラーに切り替えたのは昭和四十年であった。ボイラー技師の資格が必要な、大きなボイラーである。その時ボイラー技師の試験を受けて社内に二人のボイラー技師が誕生したが、その内の一人は社長であった。社長達がボイラー技師の資格を取るまでの数年間は、ボイラー技師の不要な蒸気発生器と和釜を併用していた。

米を蒸かすにはボイラーの蒸気を使う。そして昔の様な木の甑ではなく、連続蒸米機や分割甑といった便利な機械を使うようになったので、米を蒸す作業は非常に楽になった。この装置についてはいつか紹介しよう。

米を蒸す蒸気はボイラーの蒸気そのままではない。ボイラーから出る高温高圧の蒸気でもう一度新鮮な水を熱して蒸気を造り、さらにその蒸気を再加熱して乾燥蒸気として使用するのである。しかも、ボイラーに使用する水は、イオン交換樹脂を使用した、純水に近い状態の水を使うというめんどうな方法を採って、原料米の特徴をを引き出すようにつとめている。

ボイラーの役目は米を蒸かすためだけではない。タンクや道具を洗浄・殺菌するための熱湯もボイラーの蒸気で水を沸騰させたものを使う。また、火入れの熱源としたり、ビン洗いのお湯を作るのもボイラーの蒸気である。そして麹室の保温や冬期の暖房にも蒸気を使っている。酒造従業員の風呂もボイラーの蒸気で沸かす。今ではボイラーが作る蒸気がなければ酒造りはできなくなってもきているのである。

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