初呑切(のみきり)[1995年7月19日]

呑切り(のみきり)

当社の初呑切は1995年7月19日に行われました。夏の間は新潟県に帰っている杜氏もこの日の朝に訪れ、販売担当の支配人、出荷担当の工場長などと手分けをして貯蔵タンク一本ずつ呑を切りました。社長、常務も加わり、貯蔵タンク一本ごとの酒の保存状態、熟成の様子などを念入りに調べました。

初呑切は、まず、タンク一本ごとに酒を一升瓶に取り出します。この作業を呑を切るといいます。このときに、タンクから出る酒の香り、色などをチェックします。

次に、一升瓶に移した酒の色、にごりなどをチェックしながら利き猪口で利き酒をして、酒の熟成具合などをチェックします。

この利き酒は、会社の幹部、製造責任者の杜氏、製造指導技師、営業責任者の支配人、出荷責任者の工場長などが一堂に介して行われます。その後、営業販売担当者、瓶詰担当者もあつまり、全員で研究を行います。

当社の製造指導技師は、代々国税局の鑑定官という専門官から招聘しています。現在の指導技師は、大塚泉先生です。

次の1995年7月20日に、佐久酒造協会に、会員15社全員が酒を持ち寄り、関東信越国税局の鑑定官、長野県食品工業試験場の研究員、佐久税務署の酒類指導官が酒の熟成具合などを調べ、貯蔵方法に問題が無いか、今後の貯蔵・出荷をどの様にすれば良いかなどを研究・指導する研究会が開かれました。

【1995年当時の佐久酒造協会の初呑切】

佐久酒造協会の初呑切の際には、佐久税務署の神田学署長も見えられ、春の関東信越国税局の酒類鑑評会の賞状の伝達も行われました。